梶井宮門

三井家の歴史を継承する
象徴的存在。

建造から300 年を経た、かつて三井総領家も所有した歴史ある門。
現代の名工によって、解体・再生された芸術品は、訪れるすべてのゲストを迎え入れる表玄関として鮮やかに甦りました。

「梶井宮(かじいみや)」とは、「京都の奥座敷」とも称される大原の天台宗寺院のことで、現在の三千院を指しています。
1698 年(元禄11年)、河原町・今出川に移設された梶井宮御殿の門として梶井宮門は造営されました。それが1703 年(元禄16 年)、今から実に300年以上も前のこと。
その後、京都・大原へ移転された後、1935 年(昭和10 年)に油小路邸の門となりました。

その形状は「本瓦葺・袖塀付き薬医門(やくいもん)16」と呼ばれるもの。
社寺のみならず、城郭や邸宅にも多く用いられた形式で、柱間4.5m、高さ7.4m を誇る威風堂々たるこの遺構は、名状しがたい古艶(ふるつや)で見る者すべての心をつかみます。

HOTEL THE MITSUI KYOTO の表玄関を飾るにあたり、寺社仏閣の建築を得意とする清水建設の下、福井の宮大工集団・藤田社寺建設が全面的な修復にあたりました。
梶井宮門はこれまでにも30 年から50 年ごとに修復が繰り返され、直近の修理は1935 年(昭和10 年)に行われました。

袖塀とともに全解体された門は、部材一つひとつに至るまで精査され、損傷・腐朽部分は改修が施され、必要に応じて新しい材料に交換がなされた後、この場所で再度建方が行われました単に古い部材を使うのではなく、必要に応じて現代の技術も織り交ぜながら、今の時代にふさわしいあり方が追求されました。

50% 以上が再利用可能だった屋根瓦は、昔は土だけで葺いていたものを、屋根材と瓦をワイヤーで連結するなど、安全性や耐震性の面での更新が図られています。外観の部材を8割以上も残しながら、構造的には確実に進化を遂げています。

これもHOTEL THE MITSUI KYOTO が掲げる「継承と新生」の一つのあり方です。

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